きおくのかけら

オールドレンズ「Ai Nikkor 50mm f/1.2s」と一緒に記憶を旅するブログです

秋の陽だまりに揺れる小さな花を見て思い出したこと




陽だまりの中に人知れず揺れる花を見ていたら、15年前に書いた「仕送りの箱」のことを思い出したので再掲載します。


仕送りの箱(2007年5月に書いた文です)

先日、夜中にゴソゴソと音がするので、なんだろうと思い、音のする居間の方に行ってみた。そこには妻が居て、何やら段ボールに詰め物をしている様子であった。
「何しているの?」と聞いたところ、
「ちょっと早いけど、あの娘の夏服を少しずつ送ってあげようと思って箱に詰めているんだけど、隙間があるからお菓子でも詰めてあげようと思って・・・。」
遠く弘前で生活する娘に仕送りの箱を作っているのであった。
酒田よりも北の方なのだからまだ早いのでは?とも思ったが、そこは母親のこと、いろいろと先々のことを細かく心配しているのだ。

箱の中を覗いてみると、服など見えないほどにお菓子が詰まっている。
苦笑いしながらそのお菓子をよく見てみると、娘の好物だったものばかりである。
何処ででも買えそうなお菓子なのだから、生活費を多めに振り込んで自分の好きなものを買わせる方が合理的に思えるのだが、それでは味気ない。

妻が準備している仕送りの箱の中を見ていたら、自分の学生時代のことを思い出した。
当時私は仙台の下宿で生活していた。そのとき母親から毎月のように段ボール箱が送られてきた。箱の中は半分が衣料で半分は菓子類であった。

入っているお菓子は、私が子供の頃に好物だったものばかりだった。
『きなこねじり』や『金平糖』 『もろこし』 『ベビースターラーメン』 『酢コンブ』 『ココナッツサブレ』、それに酒田米菓の『オランダせんべい』・・・。
それは大人になるにしたがって食べなくなった菓子類で、当時としてもいったい何処で売っているのか?というようなお菓子ばかりであった。きっと息子のことを思いあちらこちら探し回ったに違いない。

しかし、当時はそんな母親の気持ちを思い量るほど余裕のない若者の私は、嬉しいと言うよりも気恥ずかしさが先にたち、素直にありがとうとは言ったことは無かったと思う。
“もうこんなお菓子食べないのに”と思いつつ、それでも、食べればやはり懐かしく美味しかった。そして何よりも、貧乏学生であったためお菓子など買えない時があり、実は助かったのだ。

今、夜中にゴソゴソと詰め物をしている妻の姿を見ていると、当時の私への仕送りの箱も母親がこんな風にしてあれこれと子供のことを思い、心配してせっせと仕送ってくれていたのだなと、しみじみと思う。

あの時の箱にはお菓子だけではなく、胃薬も入っていた。私は幼い頃から胃弱なのだ。
そして、妻が準備している箱の中には風邪薬が入っている。娘はすぐ風邪をひく。

あの時、母が送ってくれた仕送りの箱、そして今、妻が作っている娘への仕送りの箱。
時代は違うが、そこには子供への同じ想いが詰まっているのだと思う。

時代がどんなに変わっても、変わらないものがある。

それは、子供への想いを夜中の灯りの下でせっせと箱に詰めるような、親の愛だ。

 
















真ん中の花に盛大にパープルフリンジが出ていますね。これはこれで良い味出しているような・・・。
補正しないでそのままアップしちゃいます。(^^;)



























 

 




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