きおくのかけら

オールドレンズ「Ai Nikkor 50mm f/1.2s」と一緒に記憶を旅するブログです

母って・・・スゴいな、と思ったこと

 





20年ぐらい前の出来事である。
休日に妻と息子(小学3~4年生頃)と3人で遊園地へ行ったときのこと。
私と息子が遊園地内でゲームに興じているうちに、妻がどこかに行ってしまい見えなくなってしまった。
息子と二人で妻を探したところ、おみやげ物のコーナーの壁に絵画が飾ってあり、絵の好きな妻はそれを覧ているのだった。
その場所はかなり大勢の観光客でガヤガヤしており、本人も壁の絵画に集中している様子だったので、私の声は届かないんだろうなと思いながらも 3度ほど妻を呼んでみた。
案の定、妻は全く気づく気配もなく壁の絵に見入っていた。
ところがその時、側にいた息子が妻を呼んだ。

「おかあさん。」

すると妻は、ハッとしたように気がつき、すぐにこちらを振り向いたのである。
息子の声量が私よりも大きいということはなく、大勢の観光客の喧噪に掻き消されてしまうようなほどの呼び声だったのに、である。

母親って・・・スゴイな、と思った瞬間であった。


藤沢周平さんの小説『春秋山伏記』の中に、村祭りの日に仕事からなかなか帰ってこない母親を迎えに出て行方不明になった、まだ四つの娘(たみえ)を必死で探す母親(おとし)の様子を描写した場面が心に残っている。
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おとしは神社の軒下を出ると、境内の人ごみの中を鳥居の方に走った。
「たみえ、いないの?」
鳥居の近くまできたとき、さっきの姉妹の姉娘の方が、心配そうに声をかけてきた。おとしは無言で首を振って、鳥居をくぐり抜けると境内の外に出た。
---ここさは いね。(ここには居ない)
いまははっきりとそう思っていた。大勢の人が群れていたが、その中からたみえの身体の匂いがして来なかった。身体のあたたかみが伝わって来なかった。なぜもっと早く、そのことがわからなかったのかと思ったとき、おとしは喉がつまるような恐怖にとらえられていた。
---ここさ来ねで、どこさ行ったなだろ。(ここに来ないで、どこに行ったのだろうか)
おとしは境内のざわめきを後にして、夜の道を走った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄                      藤沢周平『春秋山伏記』-人攫(さら)い-より

血の繋がり・・・、とは何であろうか?と思うことがある。
論理的な、物理的な何かを超えたものがあるのだと思うのだ。

 














 
























 

 




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11月、吹浦海岸と港にて

 





海に近いところで生まれ育ったせいか、ついつい港や浜辺に来てしまう

今の時期、港には人はほとんどいないが、全くいない日もない

釣り人が数人


もうすぐ冬がやってきて、来る日も来る日も、毎日のように荒れ狂う海

今は、穏やかで寂しい、晩秋の海

幼い想い出が、たくさん置き去りにされている、懐かしい港と海

波の音がまだ優しい、冬の前の海


みなとの潮の香りが心地よかった

 


































































 

 




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